ウチ猫 永眠
昨日の夕方、ウチの猫が永眠しました。享年13歳。
10日くらい前から変な咳をしてたのですが、季節の変わり目だし風邪かなと思ってました。咳はおさまったのですが、目に見えて元気がなくなってきたのは2~3日前くらいからで伏せの姿勢のままほとんど動ないようになりました。それでも、亡くなった当日の昼まではボクの膝の上でくつろいだりしてたのですが、息子がどうしても病院に連れて行くというので病院に連れて行きました。昨日は日曜日だから動物病院も休診だと思っていたのですが、ネットで調べると午後7時まで診療している病院があったので夕方5時頃にツレが息子と一緒に猫を病院に連れて行きました。
ボクは一緒に行きませんでした。ウチの猫は12年前、生まれて半年頃に去勢手術をしてから病院に連れて行かなきゃいけないような病気を一度もしなかったからです。それに、重病だとしてもウチで息を引き取らせてやりたいという気持ちもありました。毎日トイレ掃除をしたりご飯や水をあげていたのはボクでしたから、老猫がなりやすい腎臓の病気ではないという確信はありました。でも、本当は猫にストレスを与えたくなかったのです。
ウチの猫は病院で亡くなりました。レントゲンを撮るとき、おそらくは猫が動かないようにベルトか何かで固定したのでしょう。スゴイ声で叫んだそうです。エックス線撮影の結果、肺のすぐ下に硬い腫瘍ができていて肺を圧迫して水がたまっていたそうです。注射針で水を抜けば数日は延命できるとのことでしたが、そうこうしているうちに絶命してしまいました。結果的にエックス線撮影のストレスでショック死したのでしょう。
帰ってきたときにはすでに遺体になっていました。息子は猫を抱いて泣いていました。ボクも抱いてあげました。病院で体重を量ったら5キログラムもあったそうで、ずっしりと重かったです。亡くなったばかりで死後硬直もしておらず、まだ生きているようでした。目を閉じさせようとしましたが完全に閉じさせることはできず、薄目を開けた状態でした。薄目を開けた顔は生前よく見る顔でしたのでやはり生きているようでした。
息子は翌朝早くに出かける予定がありましたので、夕方のうちに庭に埋葬しました。実は埋葬する場所はすでに決めていました。南玄関前の日当たりのよい場所です。以前に胸当てにリードを付けて庭でひなたぼっこさせていた場所のすぐ近くでした。何度か胸当てを器用にすり抜けて近所の猫と大ゲンカをしたことがあり、また、家の前の道路は交通量が多いのでそれ以来外には出さないようにしていたのですが、玄関ドアの前で外に出してくれと言わんばかりに座っていることがよくありました。それで玄関前の場所を埋葬場所に決めていたのです。
大柄な猫なので十分な深さと大きさの穴を掘るのに汗だくになりました。大型スコップで頑張って掘ったのですが、40センチほど堀ったところで硬い土に当たり限界。埋葬することにしました。そのまま埋葬しようと思ったのですが、雨で土が湿っており息子が土にまみれて埋葬するのはかわいそうだと言うので、穴の底に柔らかい紙を敷いて猫を寝かせました。ボクとしては土の上でゴロンゴロンと転がりながらひなたぼっこをしていた猫を知っているので、猫も土にまみれるくらいは嫌ではないだろうと思ったのですが、息子の言うとおりにしました。
「足のほうからそっと土をかけてやって」と息子に言うとためらいながら土をかけました。その後はボクが少しずつ土をかけて埋葬しました。上から手で軽く土を押さえてならし、とりあえず埋葬終了。人間と同じようにちゃんと火葬にすることも考えたのですが、火葬にするのは抵抗がありました。なんかね。かわいそうな気がしたのです。特に根拠はないのですが、早く埋葬してやりたいという気持ちもありました。遺体があると息子も猫を見て悲しいでしょうし、息子は翌日早朝から数日留守にしないといけなかったですから。
時々ウチの庭に不法侵入して庭のあちこちを掘り返す隣のミーちゃんに荒らされないように、お墓の上にとりあえずレンガを並べてのせてあります。もうすぐ花の種まきの季節です。お墓には花の苗を植えて花壇にしようと思っています。大好きだった玄関前の日当たりのいい場所で永眠できれば、猫もきっと喜んでくれるでしょう。ちなみに猫の名前は『レオ(正確にはレオナルド・ニャビンチ)』一番平凡な名前。そして一番平凡なサバトラ。母親はノラの子で『テレサ』という立派な名前でした。育児放棄された他の子猫にも母乳を与える寛容な母親に似て、レオも温厚で人なつこくておとなしい猫でした。
さよなら。レオ。ウチでの生活はそこそこ快適だったかな。
息子はただ単に『ネコ』と呼んでましたが。(^^;
にしても。病院に連れて行ってよかったのかな。結果的に死期が早まったような気がします。ツレの話によると知らない場所に連れて行かれてエックス線撮影のために固定されたことがストレスになってショック死したようだったとのこと。ウチではあまり苦しんでいる様子は見られなかったので、ウチで亡くなったほうが幸せだったかもしれません。ボクはそのつもりだったのですけれどね。でも。息子としては病院に連れて行って診察してもらったことで「最善を尽くした」という気持ちもあるようでした。
ボクはすでに両親を亡くしていますが、不思議と悲しいという気持ちはあまり感じません。霊魂や死後の世界を信じているからでしょうかね。写真でしか会えなくなってしまっても、今も近くにいてくれるような気がするのです。ウチの猫も今、窓際でひなたぼっこしてるか、ボクの膝の上でくつろいでいるかもしれません。ボクが死んだら、ウチの猫にも会えるような気がします。人なつこい猫でしたから、ボクが逝ったらすでに他の人になついているかもしれませんが。呼んだら思い出してそばに来てくれるかな。
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